株式会社 寺新鶏肉店代表取締役 寺田 正一



―現在の事業内容を教えてください。
鶏肉卸と小売り業、そして寺田屋という屋号で飲食店を経営しています。

―ありがとうございます。御社の事業はどのようにはじまったんですか?
昭和40年に私の父が脱サラして鶏肉の卸売を始めました。これが、現在の弊社の始まりです。

―なるほど。寺田社長はどのような修業時代を過ごされたのですか?
高校卒業後、1年間京都で修業しました。そこで肉の切り方から小売りまで学びました。京都での1年で外での修業は終わったのですが、家業に戻ってからも父から教えられることは尽きることなく修行の日々が続きました。

―ありがとうございます。御社の「こだわり」についてお聞かせください。
私の父は、深夜の2:30から鶏を絞め、その日のうちに出荷するということに並々ならぬ強いこだわりを持っていました。それが寺新であり、それが寺新のブランドだということです。その分、高かったのですが、その強いこだわりがあったから寺新は現在まで、ずっと生き残ってこれているのだと思っております。

―創業以来の時代の流れの中で、社会も大きく変化してきたと思います。どのような変化がありましたか?
大きな変化を感じたのは、やはり大型のスーパーの出現ですね。創業当時から商店や小売店に鶏肉を卸していましたが、大型スーパーが出てきたことで町の小さな商店や小売店はみるみるうちに下火になっていきました。また、この辺りから買い物をする主婦層の間に世代交代が起こりました。「母は小売店へ。嫁は大型スーパーへ。」そんなイメージです。

―なるほど。それは大きな変化ですね。その時どのように対応されたのですか?
当時、大津の石山に有名な焼き鳥屋のチェーン店の滋賀県一号店が出来たんです。そこと取引きを始めることが出来たのが大きかったです。どんどんチェーン展開が進み店舗が増えて、そこから独立された方のお店とも取引をさせて頂きました。こうして、大型スーパーの出現で落ち込んだ売り上げを何とか補填することが出来たのと同時に、飲食業界へ入り込むキッカケも作ることが出来ました。本当にいい勉強をさせてもらいました。

―ありがとうございます。飲食業界も順風満帆では無かったのではないかと思いますがいかがでしょうか?
そうですね。飲食業界もしんどい時期がありました。私は常々、私どもの扱っている商品が食品なので毎日買ってくれる取引先を探しているんです。そこで目を付けて取引きをさせて頂いたのが京都と滋賀の病院の給食やホテルです。この病院給食やホテルのおかげで、飲食業界が落ち込んだときも乗り切ることが出来ました。

―いつも困難な場面で切られる舵が正確だという印象を受けます。ご従業員の皆様とはどのように接していらっしゃいますか?
現在のコロナ禍で社員さんもパートさんも働く時間が減っています。皆、少なからず不安や不満を感じていると思います。でも、皆取引先から注文を頂くと「ありがたいですね。」そう言ってくれるんです。こんな状況でもそう言ってくれる社員を誇りに思っています。

―ありがとうございます。最後に今後の展望をお聞かせください。
私はまだまだ元気なので、あと10年や15年は現役でバリバリがんばろうと思っています。その10年15年の中で、会社の今後について考えて方針を決めないといけないと考えています。後継者を据えて存続させるのか、それとも、どこかの企業の傘下に入るのか。じっくり時間を掛けて考えていきます。

◇取材後記
「ブランディング」というと色々な考え方やノウハウが存在する。しかし、「ブランディングの本質とは?」というと根底に流れる考え方は、たった一つではないだろうか。それは、「約束」だ。寺田社長は、創業以来、「深夜2:30に絞めた鳥をその日のうちにお客様へ届ける。」この約束を守り通している。この約束を守ることが、「寺新鶏肉店」というブランドを確立している。「ブランディング」=「約束」再考してみる価値のある考え方ではないだろうか。