株式会社 ムラタエンタープライズ  (運営店舗:京・寿司 おおきに) 代表取締役 村田 勉



―村田社長が、飲食の道に進まれたキッカケはどのようなものだったのでしょうか?
父親が飲食店を経営していたのが大きく影響しているように思いますね。飲食店の経営者である父の背中をずっと見て育ちましたから、自分も自然に飲食の道に進みました。調理師の資格については、大学在学中に夜間の調理師の専門学校にも通って取得しましたよ。

―お父様も飲食店を経営されていたんですね。しかし、大学にも通いながら調理師の専門学校にも通って資格を取ると言うのはとてもパワーのいることだと思います。それだけ思いが強かったんですね。大学卒業後は、どのような道に進まれたのですか?
卒業してから45歳で独立するまでの23年間、料理屋、仕出し屋、寿司屋で修業に励みました。最後に勤めていた会社では、支配人をやらせて頂いていました。支配人という立場でお仕事をさせて頂くわけですが、いくら支配人と言えども雇われであるが故100%の意思の反映というのが難しいんですね。もっと自分の意思を反映させたいという想いが強くなったタイミングで、その会社での支配人としての仕事も一区切りを迎えることが出来たので独立に踏み切りました。

―なるほど。ありがとうございます。料理屋さんや仕出し屋さんもご経験されてきた中で、現在の「寿司割烹」を選ばれたのには何か理由があるのでしょうか?
一番初めのキッカケは、最初に借りた右京区のテナントが寿司屋の居抜きだったんですよ。それから3年後に現在の場所に移転したんですね。その頃には、創業時より寿司屋をするコンセプトが明確になってきていました。どういう事かと言うと、「寿司」というのは、世界で唯一手で握って調理したものを直接お出しするという料理なんですね。直接手で握る訳ですから、お寿司には私の「氣」が入ると考えています。私の手から出ている「氣」が「善」なら、お客様にいい影響を与えられるはずですが、逆もしかりです。その為、日々何事にも精進しないといけないわけです。そういう意味では、自分磨きに最適な業種だと考えています。

―素晴らしいお考えだと思います。右京区から現在の場所に移転されたとき、こちらを選ばれたのには何か理由があるのでしょうか?
私の地元がここ「壬生」という場所だと言うことですね。

―地元へ帰ってこられたんですね。地域社会やお客様への貢献という切り口で考えた場合、現在何か取り組まれていることはありますか?
私は現在、中京区の食育指導員をさせて頂いているんですね。地域の食育指導員として、勉強会等で食育指導をさせて頂いております。また、お店においては、お越しいただくお客様の当店の利用目的に呼応することを心がけています。冠婚葬祭等、皆様様々な理由でお越しになる訳ですから、それぞれの理由づけに寄り添うことが大切だと考えています。

―お客様だけでなく、地域社会へも貢献されているんですね。他の飲食店と比較して何か特徴的なことはありませんか?
私の頭の中に比較と競争はないんですね。ですから、他のお店のことは分からないんです。私は、ただひたすら料理とはこうあるべきなんじゃないかと直向きに考えているだけなんです。

―なるほど。村田社長の元で修業されているスタッフの皆様へは日頃どのようなことをお話されていますか?
料理作りの指導をするときに、注文通りにお料理を提供することは当然なのですが、その料理を提供するお客様の事を考えること、思うことが大事だと伝えています。注文をこなすだけで、どういうお客様からの注文か分からないではいけないと考えているんです。今作っているお料理をお出しするお客様の事を考え、お客様を思うことでその料理に「氣」が入るんです。こういうことを常にスタッフの皆へ伝えて指導しています。

―最後になりますが、会社の事や村田社長ご自身の今後の計画や展望についてお聞かせください。
4年前にニューヨークのマンハッタンに出店しようと思い視察に行ったんですがコストの問題で断念したんですね。しかし、海外への出店自体を断念したわけではなく、サンフランシスコかロサンゼルスには出店したいと考えています。これには、ビジネスの目的があることは当然なのですが、ネイティブの英語を学びたいという気持ちもあるんです。また、現在の事業が一区切りを迎え私が現場を離れることが出来る日が来た暁には、イタリアへの移住を考えています。この世に生まれた以上、京都の中だけで生きるのではなく、世界に飛び出して自分自身の世界観を広げたいんですよ。そして、3人いる女の子の孫たちに、「おじいちゃんってすごいなぁ!」って思われたいんですよ。