だいや 株式会社 代表取締役 中村 康信



―「地域に根差した町の料理屋さん」。そんなイメージで本日を迎えましたが、めちゃくちゃ立派な建物のお店ですね。こちらのお店はどのように創業されたのですか?
昭和22年に先代の父が始めた魚屋が弊社のスタートです。それから、時代の流れと地域のお客様の要望にお応えするかたちで魚以外の商品も取り扱うようになった結果、総合食料品店と言いますか、いわゆる「町のスーパー」になりました。町のスーパーとして営業している中で、お客様の要望でお刺身やお寿司の配達をやるようになったんですね。それと同時に、店内でも食べて頂けるスペース、今で言うイートインも始めました。そして、お刺身やお寿司の配達をしているうちに料理のラインナップも増えていって、町の仕出し屋さんになりました。この頃は、地域の皆様の冠婚葬祭や色々な懇親会でのお料理をメインに提供していました。

―お客様の声に応える形で拡大されたんですね。中村社長は、どの辺りから家業に入られたのですか?
私は、30歳まで東京でシステムエンジニアをやっていたんです。全然違う業界でしょ?そんなことをやっていたので、家業に入るつもりも継ぐつもりもなかったんですよ。でも、30歳になったときにふとしたきっかけで東京の会社を退職して地元に帰って来たんです。これが平成2年辺りだったのですが、その頃家業については、私の妹が継ぐ予定になっていたんです。帰って来てから、3か月ほどゆっくりしていたのですが、その年の6月に父の大病が発覚して即入院したんです。でもまぁ、妹がいるから会社は大丈夫だろうなんて思っていたのですが、この頃妹は妊娠中でそれどころではなかったんですね。ですから、やむなく私が一時的に代表を代行することになったんです。これが家業に入ったキッカケです。

―その当時はあくまでも代行と言いますか、一時的に・・・という感覚でやられていたんですか?でも、そこから現在まで代表をされているのには、どんな心境の変化があったのでしょうか?
平成2年6月に父が入院して、その時妹が妊娠していて私がやらざるを得なくなって、私がやむなく代表をやったんですよ。その翌年平成3年6月に法人化したのですが、その時もまだ、「3年位したらバトンタッチすればいいか・・・。」なんて思っていて、社長業には本腰を入れて取り組んでいませんでした。というのも、妹が継ぐもんだと思っていたからなんですが、実際その意志があるのか妹に聞くと、「本当はやりたくない。」なんて言い出したんです。焦りましたね。そんな風に思っていたなんて知りませんでしたから。当時は、従業員も沢山いましたし彼らの生活もあるので、「自分がやるしかない!」という自覚が一気に芽生えて代行ではなく正式に代表になる決意をしました。

―しかしながら、料理の経験も現場の経験もない訳ですよね。それから、どのようなことに取り組まれたのでしょうか?
家業を継ぐに当たり、父に経営とは?と言うような事はおろか、現場のことも何も教えてもらう期間が無かったので色々と苦労はしました。日々色々な壁にぶち当たる訳で悩みが尽きなかったので、学びの場が欲しくて商工会議所の青年部に入りました。これが、平成4年辺りでした。この辺りになると、経営者としての自覚がしっかりと芽生えてきました。

―それから、現在に至るまでで最大のピンチはどんなことでしたか?
弊社は、地域の皆様のお宅への冠婚葬祭時の仕出しの配達、企業や団体のイベントへのケータリング、そして、当店宴会場での宴会。長らくこれらをメインの事業としていました。しかしながら、時代の流れとともに当店のように大規模な宴会場をもった料理屋も、仕出しの文化自体も、年々その需要が少なくなっていることをひしひしと感じていました。にも拘わらず、この大きなお店を運営する固定費は変わらず高いままな訳です。このままでは事業の存続が難しくなることは分かっていましたから、「向こう10年以内には何とか解決しないといけない問題」。そう捉えて解決策を模索していたところに、昨年からのこのコロナ禍です。これによって、向こう10年以内になんて悠長なことを言っていられなくなりました。これが、最大のピンチでした。

―なるほど。じっくりと対策を検討しようとされていたところにコロナ禍がやって来て、極端な話、今すぐ決断しないといけないような状況になったということでしょうか?その問題にはどのように対応されたのでしょうか?
今年の3月20日、一旦閉業することを決断しました。苦渋の決断としか言いようがありません。

―辛い思いをお話頂きありがとうございます。しかし、このインタビューには、こういうお話もあっていいと思っています。現在は、将来に向けてどのような思いをお持ちでいらっしゃいますか?
創業以来ずっとこの土地に根付きこの土地で商売をやってきましたから、地域の皆様への何かしらの貢献をしていきたいと考えています。店は一旦閉業することを余儀なくされましたが、先代から受け継いだ、「お客様を喜ばさなあかん。」という精神のもと、私が現在所有している不動産を有効活用して地域貢献をしていきたいと考えています。