有限会社 都南自動車鈑金 代表取締役 日比 篤史



―日比社長が経営者を目指されるようになったキッカケはどのようなキッカケなのでしょうか?
私は小さい頃から経営者になりたかったんです。そう思いようになったキッカケは、日本中がバブルに沸いていた頃、銀行員で相当ハードワークだった父の姿を見ていたからなんです。毎日早朝に出ていき夜中に帰ってきて、週末の休日でも日曜日のサザエさんが放送されるくらいの時間になると父の顔が言葉では表現しにくいほどに暗くなるんです。そんな父の様子を小さい頃から見ていると次第に子供ながらに、「経営者になって、スタッフを雇って、自分のお父さんのようになる人をなくそう。」そんなことを思うようになったんです。そして、成長していく中でも経営者になりたいという思いが色あせることは無く、「小さい頃父をみて自分が感じたような思いをスタッフの子供にはさせない会社の経営者になろう。」という思いも持つようになりました。この思いを叶えることを優先していたので、何の経営者になるか?ということは二の次でした。

―幼少期に感じられたそんな思いがベースにあるんですね。お父様が銀行員とのことなのでお父様から継がれたのではないと思うのですが、どのような経緯でこちらの自動車鈑金の会社に入られたのでしょうか?
順を追ってお話すると、19歳のころから数年は宇治田原で畳の会社に勤めていたんです。しかし、その会社が京都市内に支店をつくるというような話が出たときに倒産してしまったんです。それから、「畳の会社で中小企業の組織は経験したので、次は大手の組織を経験しよう。」ということで大手自動車メーカーの製造工場に非正規で入ったんです。しかし、私のように自分から積極的にコミュニケーションを取って仕事に取り組む人間が余程珍しかったのか、入ってすぐに社員になって欲しいと言われるようになりました。それと同じくらいのタイミングで、自動車鈑金の会社を経営する家内のお父さんから、「うちには後継ぎがいいひんから、それだけ熱い思いを持ってるならうちでやったらどうや?」と声を掛けてもらったんです。どこまで行っても私の根底には「経営者になりたい。」という思いがありますから、私は迷わずお義父さんの会社に入る道を選びました。これがここに入ったキッカケで、私が25歳のときのことでした。

―ありがとうございます。それから単純に時間の流れの中で事業を継承されたのですか?
いやいや、全然単純ではありませんでしたよ。ある日突然先代が私に、運転資金の相談をしてきたんです。初代も2代目である先代も、経営者というよりも職人であり親方の色が強かったんです。ですから、会社の内情は全然お金が回っていない状況だったんです。そして、いよいよどうにもならず私に相談してきたようでした。先代は、当時「金さえあればまだ自分は出来る!」と強気でしたが、客観的に見て無理だろうという判断をせざるを得ませんでした。ですから、私は、私の父にも頭を下げ会社のお金の問題も全部自分が一手に引き受けるから全経営権を私に譲って欲しいと先代に打診し、私が代表に就任しました。これが2014年のことです。

―なるほど。すごい継承のストーリーですね。しかしながら日比社長も職人さんと言いますか現場の経験がメインで内の仕事や社長業の経験をしないまま経営者になられたんじゃないかと思います。その辺りいかがでしたか?代表に就任されてから大変なことはありませんでしたか?
そうなんです。25歳でここに入ってずっと職人をやっていましたからデスクワークが分かりませんでした。更に、現場しか知らない職人が突然経営者になったものですから横のつながり何て全くない状態でした。しかし、職人時代から「自分が社長になったらやりたいこと」をリストにしていたおかげで、2014年~2015年は何とかなりました。当時は、車をオークションで落として直してして再びオークションで売る。ということをメインでやっていたのですが、このビジネスモデルでは資金繰りが読めず綱渡りの状態がずっと続いていたので、従来の鈑金の一般のお客様がつかないと事業が長続きしないということに気付いたんです。そして、なんとかしようと車業界の経営者の会に入ったんです。それから少しづつお仕事を頂けるようになったのですが全然十分な仕事量にはなりませんでした。その頃は、銀行からも目いっぱい借り入れをしていて、自分の給料もろくに取れず、メンタルもどん底の状態で、更にそんな状態が3年も続きました。そんな私を救ってくれたのは、異業種交流会で出会った先輩経営者でした。その方との出会いによって自分を客観的に見ることができるようになって、少しづつ前向きになってきたんです。そうすると不思議なことにお仕事が徐々に入るようになってきたんです。やはり、ポジティブなエネルギーを出していないと仕事が入ってこない、人は集まらないんだということをこのときに痛烈に感じました。

―今の満点の笑顔からは想像も出来ないような辛いご経験をされたんですね。しかし、運転支援技術や安全性の向上、若い世代の車離れ、これによって鈑金を必要とするお客様の絶対数は減っているんじゃないかと思います。その辺りについては、どのようにお考えでしょうか?
確かに年々入庫台数は減っています。しかし、弊社のような自動車鈑金の会社の数は変わらない訳ですから単純にお客様の取り合いになります。さらに、最近の燃費重視の設計によって自動車がどんどん軽量化していて、今までの機材では対応できず、対応できるようになるには高額の設備投資が必要となってきます。そして、私達の業界の最大の弱点は「待ちの仕事」だという事であり、これによって入庫台数が全く読めないんです。10年20年先を見据えた時に明るい材料の少ない板金業界ですが、ただ耐えていても待っていても仕方ないので、自分から仕掛けるオフェンシブな施策を今年から始まています。それは何かと言うと、「出張による水を使わない洗車事業」です。私達のようなプロの鈑金職人が洗車をやると、圧倒的なクオリティで汚れが落ちますので、それに伴てキズやヘコミが目立ってしまうんです。そうなれば、こちらから補修や修理の提案ができますよ。また、この事業はSDGsの目標6「安全な水とトイレを世界中に」にも繋がっていて、この事業の売上の一部を「Water for good」に水として寄付しています。このように、時代の流れをしっかり見ながら、その時代の流れに合ったビジネスを展開して行かないと淘汰されてしまうと考えています。創業以来ずっと板金屋だからこれからもずっと板金屋という考えではやっていけません。どこまでいっても時代に合ったビジネスを展開していかないといけないと考えています。私で3代目。創業約60年。今日に至るまで先代の思いをこれからも受け継ぎ事業が変化しても「都南」だけでも残して、100年続く企業を創りたいですね。