株式会社 コスモメンテナンス 代表取締役 奥野 寛



―御社のホームページで会社の創業ストーリーが途中まで語られていますが、おもしろいですね。そこで語られていることを含めて、奥野社長が先代であるお父様が始められたこの事業を継がれることになったストーリーをお聞かせください。
先代であり私の父である現会長が勤めていた会社の防災部門が廃止されたことをキッカケに同僚2人と自宅で開業して、年商1億円ほどの事業を展開するも、従業員の一人が転職して、もう一人がなんと元居た会社が防災部門を再開するからということで引き抜きの出戻りに合って退職して、従業員がいなくなったところに満を持して93年に私が入社した。と、この辺りまでは、ホームページ内のブログで書いていましたよね。入社するまでの私はと言うと、学生時代は全然勉強をしてこなくて、京都市内の四年制大学を数校受験するも合格せず、「とりあえず短大に入って卒業のタイミングで四年制大学に編入したらいい!」という話を鵜呑みにして短大に行ったんです。しかし、編入試験には合格せず四年制大学へ編入できなかったんです。ですから、短大卒業後は何か志を持つ訳でもなく、大手ファストフードチェーンで何となくアルバイトをする日々を送っていました。そんな時に、父から「フラフラしてるんなら手伝え!」と言われて手伝いだしたんです。これが家の仕事に入ったキッカケです。

―そんなキッカケだったんですね。それからどうでしたか?今までの親子関係だけではなく、社長と従業員と言う関係にもなられた訳ですが。そして、そこからどういう経緯で継がれたんですか?
入ってから1年か2年程は、言い方が悪いかもしれませんテキトーにやっていました。私からすると社長である訳ですが、父でもある訳です。だからだったんですかね。反抗したりもしましたよ。しかし、入社から2年程経ったある日、父が私に「俺は仕事をしたくない。好きにしろ。」と言って来たんです。「引退する。」とか「後は頼んだ!」ではなくて、「仕事をしたくない。」って言って来たんです。言われたときは正直びっくりしましたが、それから私が前に出るようになってドンドン仕事が楽しくなっていきました。肩書として代表取締役を引き継いだのは今から4年程前、私が44歳の時の事です。

―仕事をしたくないって、社長に正面切って言われると中々すごい衝撃ですよね。実際の肩書の継承は数年前だったとしても実質的な経営は、かれこれ二十数年されいるわけで、そんな現在、奥野社長ご自身から次への承継についてどのようにお考えですか?
私は、昔から社員の皆に対して、「40歳で仕事はしません。経営をします。」そんなことを言い続けていたんですね。そして、私が44歳の時に代表取締役に就任して、迎えた4月1日。社長になって初めての朝礼です。その時に社員皆の前で、「次の社長は、この社員の中から出します!」と宣言したんです。社長に就任していきなりそんなことを言ったので社員の皆はザワザワしていましたが、現在でもその思いに変わりはなくて、私は50歳でコスモメンテナンスを次の世代に継承して、私は次のステージ進もうと計画しています。その為に新法人も既に設立していますので、私や奥野家は、その新法人の元で存続していきます。

―将来を明確に提示してくれる社長の元で働けるということはとても素晴らしいことのように感じています。従業員の皆様に対しては、どのような思いをお持ちですか?
この会社を、「スタッフの皆の子供が働きたくなる会社にしたい。」と真剣に考えているんです。その為に、とにかく常に皆の意見を聞くようにしています。直接意見を言うことに抵抗を持ちがちな新しいスタッフに対しては、コンサルを付けてでも意見を吸い上げるようにしています。そして、意見を吸い上げて聞くだけ聞いて何もしないのでは何の意味もないので、ドンドン改革していています。現場から、「この機械を導入すれば作業効率が上がる!」との意見が出れば、すぐに購入して現場に導入します。作業効率が上がれば長期的に見ると会社にはプラスですから。また、逆に何の意見も提案もないスタッフは一見大人しくて会社にとっていいように思われるかもしれませんが、弊社では評価が下がります。とにかく、困ったことなど何かあったらすぐに提案してほしいと言い続けた結果、私が社長になってからのここ4.5年は離職者が減りました。

―離職者を出さないであったり、離職率を下げるということを課題とされている経営者様は多いと思います。なんだか先程から良いことばかり聞いていますが、ピンチというかネガティブな局面はなかったのでしょうか?
そりゃありますよ。それは、「働き方改革をやるぞ!」と言ったときです。スタッフが約半分退職したんです。というのも、それまではろくに労務管理も学ばず、就業規則も作っていなかったんです。ですから、残業をすればするほどジャンジャン残業代を支払っていました。120時間分の残業代を支払うなんてざらでした。「このままではあかん!こんな会社で誰が働きたいと思う?普通の会社になろう!」と、働き方改革を断行したら月の給料が15万程減るスタッフが続出したんです。そんなスタッフに「毎月の手取りは減ってもボーナスで還元するから年収は変わらない。」と説明しても、月15万円の減収がきついスタッフは辞めてしまいました。残ったスタッフは半分の15名程。今までの仕事量が引き受けられないので仕事量全体の約1/3を占めていた売り上げの低い大手からの仕事を断り、残った仕事に全員で取り組んだんです。そして、それから1年後に15人を採用して、1年前に断った大手に頭を下げに行ったら再度、適正金額で仕事を頂けるようになったんです。

―なんだかすごいお話ですね。早いもので最後の質問です。これからの事についてお聞かせください。
まずは地域への恩返しをしたいと考えています。弊社のような不動産開発会社だからこそできることにしっかり取り組み京都の皆様が住みやすい街づくりに貢献したいです。そして、京都に会社を構える企業として大きくは京都の財政にも寄与したいと考えています。また、日本国内だけではなく海外における不動産関連事業を展開することで、海外に住まわれている日本人の皆様のお役に立ちたいと考えています。このように事業視点を海外にシフトすることで、日本の質の良いビルメンテナンスを世界に広げたいと考えています。そうすれば、優秀な外国人スタッフも集まる会社となり、そうなれば世界と戦える会社になるはずです。そんな海外でも通用する会社づくりに取り組んでいきます。