株式会社 折竹 代表取締役 折竹 基弘



―なんだか、クリニックのようにキレイなオフィスですね。先代のお父様から家業を継がれる前は、どこかの保険会社や金融機関で修業期間のような時期があったのでしょうか?
順番にお話しますね。私は、高校を卒業して一浪して大学に入ったんです。2回生が終わるタイミングで1年間休学してインドに留学なんて言うことも経験させてもらいました。勉強に遊びに留学にと、大学生ならではの時間の使い方を謳歌して迎えた4回生。急に大学に行っていることに違和感を覚えたんです。その違和感は心から消えることなく日に日に大きくなる一方だったので、そこ気持ちに従って4回生で中退したんです。しかしながら、私の両親からすると、一浪して大学に入って休学を許してインドにまで行かせた息子があと一年で卒業と言う4回生で中退した訳です。心穏やかではないですよね。ですから、実家に帰ることもできず山形県の山奥の工場に派遣社員として住み込みで働きに行ったんです。しかし、若気の至りとでもいいますか、上司と衝突してしまい長く続きませんでした。それから、インドで知り合った友人を頼って東京に行き、今度はテレビ局関係の仕事を始めたんです。その仕事と言うのはテレビ収録のセットの電飾等の設営をする仕事なのですが、仕事をするのは収録の前後1時間ずつなんです。収録中はずっと待っているんです。2時間くらいしか働いてないけど拘束時間は20時間。そんなことが日常でした。ですから、次第に「自分は何のために働いてるんやろ・・・?」と、そんなことばかり考えるようになったんです。

―保険の仕事をされている方の前職って銀行や信用金庫みたいな金融機関か、どこかの営業会社のイメージですが全くそんな業界とは無縁じゃないですか!それからどうなって今に至るのですか?
それから程なくしてその仕事も退職して、癒しの観光のつもりで逗子へ行ったんです。そこで、雑貨屋のオーナーと音楽を通して意気投合するなんていう出会いもありながら、横須賀に行ったときに外国人の多さにびっくりしたんです。自分を中心にグルっと一周見渡すと日本人は3割くらいしかいないように思えました。当時の私は、留学もしたいと思っていたので、何とかこの横須賀という街で働けないか?と考えて米軍基地の求人に応募して、基地内のレストランでウエイターを始めたんです。そこは、日本ではありますが完全に外国でした。ですから、日本の一般的なレストランと違い、そこにあるのは外国の文化のレストランな訳です。そこには、日本にはない「チップ」という文化がありました。もらったチップは自分のものですから、どうすればチップを沢山もらえるのか考えるようになったんです。「どうすればお客様が喜んでくれるのか?」このことを必死に考えるようになったんです。今までになかった接客という文化に触れた瞬間でした。結局そこでは、2年半ほどの時間を過ごしたのですが、その間も父からは度々「帰ってこないか?」とメールを貰っていたんです。そんなメールを貰うたびに「嫌や。」なんてそっけない態度をとっていたのですが、ある時実家に帰ったとき私は家業に入る大きなキッカケがあったんです。

―なんだかドラマでも撮れそうなストーリーですね。で、ようやく家業に入るキッカケまで来ました!キッカケって何があったのですか?
キッカケは、近くのスーパーの前で交通整理をされている警備員さんです。盆や正月に実家に帰るときいつもそのスーパーの前を通るのですが、いつもその警備員さんがいらっしゃるんです。道路に面したスーパーなら大体警備員さんがいらっしゃいますが、その警備員さんは他の警備員さんにはない存在感がありました。それは、何かというと礼が深かったんです。この警備員さんを見たときに、「仕事は何をするかじゃない。どうするかが重要や。」と気付かせてもらったんです。それまでの私は、何をするかばかりに気を取られていました。警備員さんを見て、礼の深さ一つでここまで人を感動させられるのであれば、父の保険の仕事もどうやるかで、イメージも仕事も違うものに変わるんじゃないかと思ったんです。それをキッカケに、私の弟にも声を掛け家業に入ることにしたんです。それからしばらくして、母の大病が発覚し程なくして他界してしまいました。そして、母の三回忌が終わった後に父も他界したんです。そのタイミングで私が代表に就いたのですが、結局父とは3年半程しか一緒に働くことが出来ませんでした。

―「何をするのかではなくどうするか」。僕もその通りだと思います。しかしながら、保険と言うのは無形のモノで尚且つ納品がお客様に何かがあった時と言う非常にデリケートな商品だと思います。そんな商品を扱う業界の経営者としてのモチベーションの管理はどのようにされていますか?
保険契約をお預かりするというのは、色も形もないモノを私が行う表現を頼りに、お客様に数百万円という大金を預けて頂くということです。ですから、ご契約ごとの責任とプレッシャーには毎回押しつぶされそうになります。ですから、そのバランスをとるために自分の時間を持つということを大切にしています。「仕事のため」「お客様のため」「家族のため」そして、「自分のため」。これらのバランスが大切だと考えています。

―お客様や家族の為に完全に自分を犠牲にした結果、気持ちも身体も壊れてしまうというお話は珍しい話ではありません。ですから、責任の重い経営者ほど折竹社長のように自分の時間をとるということが必要なんだと思います。取材も後半ですが、家業を継がれて一番悩まれたことは何ですか。
先代の父の他界後、私が代表に就任したわけですが、家業に入るときに弟に声を掛けて始めたことなので、その弟との役員報酬の配分にはずっと頭を悩ませていました。そんな時に、困ったときにいつも助言を頂いていたお客様に相談したら、「社長が6割、弟が4割取ってはじめて世間は半々で見るで。」と言われたことがあります。兄弟で事業を継承された方の中には、私と同じようなこのような悩みを持たれている方もいらっしゃるんじゃないかと思います。

―同時に家業に入られた場合の報酬の配分は確かに難しい問題だと思います。最後になりますが、今後のことについてお聞かせください。
社員数を現在の倍の10人にして、資本金を1億円にしたいと考えています。それを実現させられれば、「信託」の取り扱いを始められるんです。私は、今、日本の抱えている様々な社会問題の解決策の一つが「信託」だと考えています。現在の日本が直面している高齢者の問題。その中でも相続人がいない高齢者の皆様には、不動産や車や金融資産等何から何まで残ったものをどうするか?という死後の問題があります。それを解決する手段の一つが信託なんです。「保険+信託」。弊社でこれが出来れば、生前から死後に至るまでのお手伝いをさせて頂くことが可能となります。このように、今までに無い新しい価値を創造し、皆様から必要とされ続ける存在であり続けたいと考えております。