協栄エコソリューション 株式会社 代表取締役 寺重 裕弘



―寺重社長は、先代のお父様から事業を継承されていますが、どのような経緯で事業を継承されたのでしょうか?物心ついたころには、将来は継ぐものだと思っていらっしゃったのか、それとも全然違う仕事に就かれたというようなことはあったのでしょうか?
先代の父が、事業を始めたのは私が中学3年の時でした。独立前に長らく採石場で使用する機械の販売や修理、メンテナンスをやっていたのですが、独立してからも同じ事業をやっていました。それから、高校に進学して卒業が目前に迫ったとき、私は大学に進学するというよりも就職して働きたかったんです。しかし、いきなり父の会社に勤めるのも抵抗があったので、機械工具の会社に就職しました。将来的には継ぐ可能性もあるんじゃないか…?と思ったので、全く畑違いの業種ではなく同じ業種に進んだんです。そして、働き始めて3年半ほど経った頃、父から「事務所を移転するから、この機会に戻ってこないか?」と声を掛けられ、それを受けるかたちで家業に戻りました。当時の業績は、ずっと右肩上がりで正に絶好調でした。そして、私が家業に戻って1年も経たないある日、父が肝硬変を患い入院することになったんです。さらに、それから1年ほどで父が急逝しました。十分な引き継ぎなんてこともありませんでしたから、当時の専務が社長になると言い出して、社員の皆さんに「寺重家の会社やのにそれは違うやろ!」と反発がされたりと、内情が複雑になった時期もありました。結局、専務と母とで共同代表というかたちで落ち着く様子を見せたのですが、意見や方針等の食い違いから3か月で崩壊し、専務が独立。そして、私が代表に就任することになりました。それが昭和60年、私が24歳の時のことでした。

―家業に戻られてからお父様とお仕事が出来た期間は1年もなかったんですね。そうなると十分な事業継承なんてありませんでしたよね。さらに当時は24歳。当時から今に至るまでで辛かった時期はいつでしたか?
やはり就任当時です。事務所を移転したタイミングで家も購入していたんです。その借り入れがたっぷりと残っていました。家の借り入れについては、団体信用生命保険でチャラになりそうなもんですが、病気の関係でチャラにならなかったのでそのまま残りました。さらに、専務と母が共同代表をしていた時のいざこざのタイミングで、従業員の皆さんは退職してしまいました。ですから、膨大な借金は残ったものの会社には私一人しかいませんでした。そんな辛い時期でも、当時は「24時間働けますか?」なんていうCMが流れるくらい、頑張れば何とかなる時代だったんです。ですから、とにかく一人でがむしゃらに働き続けました。しかし、継承してから3期連続の赤字でした。そんなタイミングで、事務所を構えていた久御山の事務所の上に第二京阪が通るということで用地買収の話が舞い込んだんです。そして、その話を飲み、現在の槇島に移ってきました。それくらいのタイミングから、他社がやっていないことをやって差別化をしようと言うことで、日曜日の採石場が休みの日の機械のメンテナンスをはじめました。そういうことを始めてから、少しづつ業績が回復していきました。

―ありがとうございます。若くして代表に就任されてから今に至るまで経営者として様々なご経験をされたことと思います。それを踏まえ、現在経営者として大切にされているお考えとはどのようなことでしょうか?
事業を行うにしても、それ以外のことにしても、自分が喜びを感じるのはどういったことなのかと考えると、それは「自分以外の誰かに喜んでもらうこと。」なんです。経営者として、自分以外の誰かの喜びを考えた場合、お客様は当然ですが、従業員や家族の皆に喜びを感じてもらい幸せになってもらいたいと考えています。その為に、とにかく収入を得るためにがむしゃらに働くということだけではなく、働くということを通じて経済的にも精神的にも豊かになってもらいたいですね。

―誰かの喜びが自分の喜び。素敵ですね。では、そういう視点で見た場合従業員の皆様に対してはどのような思いをお持ちですか?
会社を経営している以上は、企業として拡大していかなければいけません。そして、それと同時に従業員の皆も豊かにならないといけません。この両輪が大切だと考えています。これに向かって皆で同じ方向を向くために、何でも私一人で決定するのではなく、全員で改善に取り組むようにしています。経営理念や福利厚生等、何でも全員で話し合うようにしています。また、最近では勤続の長い従業員が増えてきたので、後進の採用と育成が今後の大きなテーマの一つとなっています。どうやって後進を教育していくかということについても皆で話し合い育成方法を構築し、若手の採用に踏み切っていきたいと考えています。

―ありがとうございます。次にクライアントの皆様に対しては、どのような思いをお持ちでしょうか?
継承して間がない頃は、「寺重の息子」ということで皆様に応援して頂けました。皆様に応援して頂けていることをひしひしと感じたので、お客様には出来る限りのことをしようと考え、その通りに行動してきました。しかし、自己犠牲を払いお客様のことを思うばかり、ついてこれない従業員が出てきました。当時は、人がやらないことを追求して金儲けをする。そんなことばかり考えていました。この時に金儲けと良い経営者は別なんだということを学びました。先程もお話した通り、企業の拡大と同じように、社員の豊かさも大切にしていますから、そういったバランスを経営者として取りながら、お客様へは今後も末永く貢献していきたいと考えています。

―お客様のこと、ご商売のことを思うばかりに従業員の皆様との間に歪ができた時期があったんですね。最後になりますが、今後のことについてお聞かせ下さい。
弊社はお2025年に50周年を迎えます。それを踏まえ2017年に2025年ビジョンを掲げたんです。その中の一つに、新社屋と新工場の新設があります。そこに向けて、より一層売り上げを上げるということ、そして会社の基盤を強くするということが大切だと考えています。会社として強い基盤が出来ると今まで出来なかったことにも取り組むことができますし、そうなれば今よりももっと皆で幸せになることが出来ると考えています。その為に、今までのように何でも皆で話し合いながら方向性を揃えて決めていきたいと考えています。